とある朝
昨日の朝は晴れて寒かったけど、今日は雨のためかそれほどでもない。
つい先日まで窓を開け放ち、暑い暑いと言っていたのが不思議なくらいだ。
最近よく思うことは、この世界は自我が見ている夢ではないかというもの。
「我」がこの「世界」を見、「時間」を実在するものとしている気がする。
そして、とどのつまり、何も無いのではないかとも感じる。
それはまるで、何も無いところからモグラタタキのモグラのように、ぴょこぴょこと
この三次元の世界に現象として現れているかのようにも見える。
また一方で、何が真実かどうかは、結局そのひとそれぞれによるところが大きいのかもしれない、
人の数だけ真実や真理というものが存在するのかもしれない、とも思う。
生や死というものも錯覚ではないのかなとも思うことがある。
生きているという「気」になっている。
また、いつか死ぬだろうという「気」になっている。
これが自我が見ている夢幻という気がして仕方ない。
でも、これもそういう「気」になっているだけかもしれないと考えると、
底が抜けたような疑いに陥るのでもう止めておこう。
「頭」から離れよう。
すべてをひとの思考や因果律や理性などで量ることが出来るとは思えないからだ。
ただ、この生きているという営みは、それ自体がとてつもなく不思議で、
神秘の塊だというのは間違いないだろう。
だからもう抵抗をしなくなった。
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