ひさしぶりの朝陽を見る
長い雨の日が続き、晴れ間を見ることが最近なかったが、今朝は久々に朝陽を見ている。
随分と涼しく、寒いと感じることもある。
そろそろ冬の花を植えていこう。
そして、外に出したままの観葉植物などは、陽のあたる室内に移動させよう。
明日からまた天気はよくなさそうな気配だ。
今日のうちに昨日のザックを洗おうか。
心が動くと想念が出、世界が現れ、また想念から感情や欲求が出現する。
そしてその流れに乗っていくと、いつものパターンに陥ってしまう。
つまりその行き着くのは「苦」というわけだ。
ただ、そのプロセスの逆も然り。
だから公案禅では公案に、または曹洞では呼吸に心を集中させるわけだ。
心が揺らがないように。
マハルシなどは想念が出てきたら「私は誰か」と問いなさいと教えている。
これも心の動きを静める方法のひとつで、公案と同じ要領のものだが、この問いを続けることによって
本当の自分が分かるという。
これも禅の世界でいうところの「本来の面目」、「主人公」などに近い感じもするが、
マハルシのいう「本当の自分」とは、もっとミスティックな感じがする。
これこそ見性体験なのではないのか。
言葉は言葉、されど言葉だ。
学ぶことは多い。
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