月を指す指
言葉をもって何かを説明するのはとても大切なことだ。
しかし、それが実際にこちらの身を持って経験してみないと分からないことに関しては、ときに言葉は無力であり、また、ときとして余計に混乱を招く恐れがある。
「月を指す指」は、その例えとしてよく用いられる比喩である。
往々にしてその指を崇めてしまったり、指が本物だと勘違いしてしまう。
しかし、重要なのは「月」そのものであり、それを指している指ではないのだ。
それを説明する言葉や人物ではないのだ。
それは、直接この身体をもって体験しないといけない。
言葉、イメージ、観念などをすべて離れてしまおうと試みている。
そうすると、表面にいるこの「自分」という存在の背後に、いつもじっと山のように静かで
不動の何かがあることを感じることがある。
それは只在るだけだが、表面の自己はなにか便宜上付いているだけの飾りのようなもので、
その奥底に佇む何かが本物のような気がしてくる。
ちょうど自我はデコレーションケーキの上のイチゴのようなものだろうか。
そして、それは次元が異なる存在なのだろうか。
それとも単に分泌される物質による錯覚作用なんだろうか。
海面から顔を出して、この世界の様々な現象、事象に右往左往される自己とは違い、
それは海の底深く、ずっと静かに不動のままだ。
死を迎えると、この身体と自我は滅びるだろう。
しかし、ひょっとすると、その鎮座するなにものかは残るのかもしれない。
それが「魂」とも言うものなのだろうか。
そのあたりをもっと探求していきたい。
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